キレイなトイレ調査研究所

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【人間関係】夢は叶えるものか見るものか、現実と妄想を勘違いする恐ろしさ【非現実に生きる】

夢はありますか?
そう聞かれたら、どういう夢を連想しますか?

夢には2種類ありますね。

・叶えたい夢

・眠っているときにみる夢

 

ここでの夢は当然、前者の人生で叶えたい夢、実現させたい物事についての話です。

 
▼快眠の話はこちらです。

noji-rei.hatenablog.com

 

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叶える気つもりのない夢 


夜眠ったときにみる夢ではなく、現実で叶えたい夢といっても色々あります。大きく分けると次の2つ。

 

・努力して叶える夢(そのために頑張る現実)

・叶わない(そもそも叶える気がない)夢


努力したからといって必ずしも夢が叶うわけではない。
それでも日々積み上げる人もいれば、夢はあっても、そのために努力や苦労をする気はなく、妄想で満足できる人もいる。

夢の持ち方は人それぞれ。よい悪いの問題ではなく、あくまで個人の問題です。
ただ、叶えるつもりのない夢を持つ人が、自分をわかっていない場合、現実の世界で摩擦を起こすことがあります。

これから書くことは、特定の人を指しているわけではありません。私の思い込みやかつての知り合いなどの話です。もしかすると思い当たる方がいるかもしれませんが……。それだけよくある話なのかも。


優秀で努力家のある表現者に「夢を叶える気持ちのない」その人は自分も夢を叶えたい人ですと言いながら接近しました。

その表現者は苦労人だからファンに対して親切、なのでその人にも親身に接しました。表現者は、その人がやたらと距離を縮めてくることに不安を抱きながらも、その人に求められるアドバイスをして、よくもしてあげてきた。


その人の立場からすれば、表現者が少しぐらい自分によくしてくれたからといって、ファンへの感謝でしかないことに気づくはず。その人もよい表現者のファンになれてよかったと感謝すればいい話です。

けれどその人は自分と表現者を一体化させてしまった。
自分の夢がその表現者と一緒にいることで満たされ、夢が現実化したと勘違いしたのです。

その人は夢を叶えたいと公言することが気持ちいいだけで、実は努力をする気なんてありはしない。努力なんかしたら夢は現実になってしまい、夢ではなくなってしまうから。

 

自分の夢のために他人を傷つけること

 

演劇ファンの知り合いがいます。
その人は自称アーティストで、自室をアトリエと呼び、ある舞台俳優を尊敬・敬愛していると公言してファンの集いに足繁く通っています。

その人は自分からは何も作り出せない人で、自分の夢は妄想だと自覚している。そして自分の夢を見せる相手も知り合いに限定している。だから少し痛い人と感じても、その人を避難したり迷惑がったりする人は多分いないと思います。 


けれど俳優や表現者といったあちら側の人と、何もしないこちら側の自分との距離感を自覚できず、たんに物理的距離が近くなった(近寄っただけ)だけで関係が深まったと勘違いしてしまう人もいます。


その人の奇異な行動が、表現者たちから迷惑だと思われている現実を知ると、酷く動揺して傷つき、相手への攻撃に走ることがある。愛している相手を厄介に巻き込んでいるのに苦しくないのだろうか。それとも愛しているのは結局自分だけ? いや自分すら愛してらいないのかもしれません。


裏切られたと感じて、壊れたと絶望しているのかもしれません。でも本当はそもそも何も始まってはいなかった。それだけのことなのに。
 

表現者とファンを繋ぐもの

 

努力して夢を手に入れたとして、その先に明るい未来が待っているとは限りません。
人に夢を与える側に立つことは、表面的には華やかに見えるかもしれませんが、現実はきっと想像以上に過酷なはずです。

すごいストレスが伴うはずの表現者たちに、見る側、楽しむ側ができること、それはただ一つ。その対価に金銭を支払うことだけです。

 
見る側が与えられることは、彼らに応援という形でお金を払うことだけ。自分にはそれ以外にも与えられる力を持っていると信じることは恐ろしいことだし、きっと表現者たちはそれ以上のものなんて、望んではいないと思います。

夢を与えてくれる表現者には金銭で感謝を伝える。もし、それですら要らないと言われてしまったら、既にファンであることすら拒否されたということ。そんな風になることは余程のことですが、そうなってしまったら、表現者の前から消えるしか選択肢はないです。

ただし、夢を見るファンの特権は、その表現者から別の表現者に対象を変えるのも自由ということ。何の強制もないわけです。
けれど、次にファンになる相手とは適切な距離感を保つようにしなければ、同じことを繰り返す結果になってしまいそうですが。

  

 

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それではまた。
のじれいか でした。