映画『共に歩く』は、共依存がテーマ。
愛されずに育った女性、両親の不仲を見て育ち、不安を抱える少年時代を過ごした男性。
彼らがどのように再生されるかが描かれています。
ストーリーについて、感じたことをネタバレありでご紹介します。
共に歩く
作品情報
製作年度 |
2014年 |
上映時間 |
115分 |
監督 |
宮本正樹 |
キャスト |
小澤亮太 入山法子 河井青葉 日向丈 染谷俊之 朝香真由美 螢雪次朗 |
ネグレストで育った女
主人公の岩村明美(入山法子)はジュエリーショップの販売員、恋人で小学校教諭の 松本哲也(小澤亮太)と一緒に暮らしているのですが、明美は哲也に繰り返し連絡して、彼に心の自由を与えようとしない。
哲也は明美を愛しているし、やましいところはないのですが、電話に出てしまうと詰問が続き、お互いに疲れ果ててしまうので、電話には出ないようになってしまった。
しかし明美は一緒にいても、哲也の電話が鳴れば「どうして私がいるところで電話に出ない」と怒り、席を外して出れば「どうして私に隠れて電話に出る」とひどく感情的になる。
そして怒りの感情が頂点に達すれば破壊行為に出て、一段落すれば「お互いに限界だから別れよう」と切り出す。そんな日々が続いていました。
哲也は明美と別れたくはない。でも、このままではお互いによいことがないとわかってもいる。
彼女が彼に抱える不安……。
あまりにも実態がなく、嫉妬とは言えない稚拙な感情。でも彼女は幼稚な女性ではなく自己管理もしっかりとでき、社会的にも普通に暮らせているように見える。
明美は子供の頃、母(朝加真由美)と父(螢雪次朗)が仲が良すぎて、自分だけ除け者にされて育った過去があった。
両親から自分の感情を受け止められた経験がないので、親しい人との距離感がつかめない。いやもしかしたらそれは、生まれ持った性格も影響しているのかもしれないのだけれど、いずれにしても、近しい人との距離感がつかめず苦しんでいる。
相手に自分の感情をぶつけなければ、関係が成立できないし、そうしなければ自分が保てないのだと思われます。
不仲な夫婦に育った息子
明美に翻弄される哲也は、実は自分も子供の頃の傷があったが、そのことを明美に打ち明けていなかった。
哲也の家庭は両親の諍いが絶えず、それを見るうち強い不安を感じるように。自分の体を叩いたり、揺らしたりすることが、不安から逃れるおまじないだと信じ、繰り返し同じ行為をしていた過去があった。
哲也が抱えていた苦悩は、彼が勤める小学校に同じ症状を持つ生徒がいたことで明らかになります。その子供は担任教師ですら遠ざけようとしていましたが、哲也にとっては他人事ではない。そのくらいその生徒の不安が共感できた。
哲也は生徒との交流を持ち、不安を開放をすることで救われるかもと経験に基づいたアドバイスをする。
哲也から過去を打ち明けられた明美は、傷があるのは自分だけではないのだと、彼への思いやりの気持ちも芽生えていくのでした。
女の両親の感情(ネタバレあり)
明美は両親と長く絶縁状態が続いていた。しかし母が若年性アルツハイマーに罹ったことで状況が変化。父から繰り返し連絡が入ります。
彼女は実家に顔を出すのを嫌がっていたのですが、彼に諭されたこと、また自分の気持ちの整理のために、両親と一度会っておこうと実家に戻ります。
そこで父からは、お前には迷惑はかけないつもりでいるが、もし自分の方が早く亡くなるようなことがあれば、そのときは、お母さんを頼めないだろうかと言われます。
彼女は覚悟ができていたので、父の頼みを了解し、母には「どうして自分を愛してくれなかったの?」と訪ねます。
「私はお父さんが一番大切だから」
母のその言葉を明美は黙って受け止める。
側から見れば、そんな母の言葉が明美には納得できたとは思えないのですが、明美はもはや親への期待など微塵もないのかもしれない。たとえ母親から何を言われても、この人たちが自分の親なのは事実であり、その現実を受け止めようと覚悟したのかもしれません。
運命というものは変えようがなく、どんな親から生まれてくるかは子供の知ったことではない。だから自分だけを責めても仕方ないし、かといって親だけを責めたところで解決しない。そのことがわかったように思えました。
現実にはそう簡単にはいかないでしょうね。一度覚悟できても感情は揺さぶられてしまいそう。でも親のためというより、自分自身のために、早めにケリをつけることは大切なのかも。そんなふうに思えました。
さいごに
この映画は共依存がテーマでらしいのですが、そうなった過程を明美と哲也を中心に、彼らに繋がりを持つ人たちの苦悩というかたちで深堀りされます。
どちらかと言えば、成長期に受けた親からのトラウマからいかに開放されるか? といったテーマのように思えましたね。
共依存と幼少期の親との関係は、切り離せない深い繋がりがあると思う。子供のときに躓いてしまえば、その後苦労するというのもよくわかります。
ただ、この映画での共依存の実像は、恋人や夫婦間のそれが描かれていて、親子間のものではない。ここでは触れていない親子関係も登場しますが、少なくても自分が想像(期待)した共依存の関係とは少し違うなと感じました。
共依存は親子関係で起こっていることの方がむしろ根が深い気が。子供の成長を認めず、手離そうとしない親。否定し続けることで自由を奪う親。それを愛だと盲信する子供。そういう関係を想像したため、映画としては良作なのですが、共依存の話としては少しだけ物足りなく感じてりまったりも。
でもタイトルが『共に歩く』なので、親子の話ではないのも頷けますけどね。
出演者では入山法子がとてもよかった。彼女のように透明感のある女性でも苦悩を抱えているという側面を感じ取れました。いい女優です。もっともっと活躍してもらいたいですね。
▼トラウマの映画です
それではまた。
のじれいか でした。