こんにちは。 のじれいか(@noji_rei)です。
『イット・フェローズ』の監督、デヴィッド・ロバート・ミッチェルの作品として話題を呼んだのが、映画『アメリカン・スリープオーバー』(The Myth of the American Sleepover)。
アメリカの「お泊まり会」を中心にティーンエイジャーの心情を描く群像劇です。
「お泊まり会」の夜、恋の相手に静かなアプローチをする男女たちの話なのですが、今どきのSNSを意識したキラキラ青春ストーリーではありません。
すごく落ち着いている。どちらかといえば地味でオクテ。
でもそれゆえに、ゆったりと楽しめ、感じることができた映画でした。
ストーリーについて、感じたことをさらっとご紹介します。
アメリカン・スリープオーバー(2010)
※本記事の情報は2021年7月時点のものです。 最新の配信状況はサイトにてご確認ください。
作品情報
アメリカ 96分
監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル
キャスト:クレア・スロマ、ジェイド・ラムジー、ニキータ・ラムジー、マーロン・モートン、エイミー・サイメッツ、アマンダ・バウアー
ストーリー
高校生の男女の一晩を描いた青春群像ドラマ。
夏の終わり。秋から高校生になるマギー(クレア・スロマ)はプールの監視員の彼に感心を寄せ、楽しいことはなかったと物足りなさを感じている。
スーパーで気になる女の子と視線を絡ませる男の子。引っ越してきたばかりで年上の彼氏がいる少女など、事情はそれぞれ。
彼らが暮らすのはアメリカのどこか地方都市で、そこでは「お泊まり会」が大々的に、たとえば日本でたとえれば、移動教室なみに開催され、男女がそれぞれ多人数で集います。
当然ですが、その年齢の男女が自由になれば、おとなしくしていられるはずがなく、お目当ての相手に接近を試みながら、曖昧で実態を失いやすいティーンエイジャーのひと夜は過ぎていきます。
幻想的な雰囲気がよい落ち着いた青春物語
ここに登場する男女は、この年齢の男女の多くがそうであるように、必ずしも性的行為だけが目当というわけではない。
マギーは、お泊まり会に行くと偽って、高校生たちのパーティに行き、そこでプールの監視員だった彼と再会してひとときを過ごします。
この場面が物語の見せどころかな。
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彼はマギーに、子供の時代は、背伸びをしたり急ぐうちに忘れてしまい、ふと気づけば二度と戻らなくなる。それは10代の神話みたいなものだと語ります。
マギーは、彼がそんな話をするので、自分には高校3年生と言ったけれど、実はもっと年上なんじゃないかと思ったりする。彼は本当は大人ななのかもしれない。
変な会話をするよりずっと清潔感があってロマンチックな場面なのですが、実年齢のことより、そんな話をしている時点ですでに子供ではない二人のようにも思えてきます。
また時代設定は明らかではありませんが、どうも1990年代前半あたりらしく携帯もなく、コミュニケーションを取るには対面するしかない切実感がありました。
想いを寄せる相手には会いに行かなければ会えない。連絡手段がないので、もどかしい時代でしたが悪いことばかりではなかった。現代は内と外の切り替えがこの頃と比較すれば容易なのでしょうが、この当時はツールがないので人とかかわるためには、おそらく今より勇気が必要だった。だからこそ自分の内側を一生懸命見つめる必要があったのかもしれません。
ほとんどが夜の場面で、『夜のピクニック』のようでもあったかも。ここまで大掛かりな「お泊まり会」は実在せずフィクションかもと、レビューに書かれている方を見かけましたが、たとえば『夜のピクニック』を外国人が観たり読んだりして、「日本人は夜歩き続ける修行のようなイベントがあるらしい」と思う人がいてもおかしくはないですよね。
なんとなく、ここまで大がかりのお泊まり会はない気がしますが、真偽の程はどうなんでしょうね。
▼夜のピクニックの主演といえば多部未華子。
それではまた。 のじれいか でした。