こんにちは。
先日『東京女子図鑑』なるドラマを視聴しました。
2017年につくられたドラマです。
1話あたりが短いので見やすく、そのわりに共感できる部分もあるので、気分転換にオススメしたいドラマです。
秋田に暮らす女子高生が「人から羨ましがられる」ことを目標にしたいと考える。その後の23歳から40歳までを描いたもの。
上京しておしゃれアパレルに就職して合コン三昧の日々。
まずは、おぼっちゃまの彼氏に「ジュエルロブション」に連れて行ってもらうことを目指します。
それは会社の先輩から「30歳までに恋人にジュエルロブションに連れていってもらればいい女」(←死語)と刷り込まれているから。
そういうの笑える。
わかりやすい価値観がドラマを盛り上げる
主人公の綾(水川あさみ)は、秋田の田舎町で暮らしている。母(手塚理美)は東京出身なのに秋田の信金で働く父と結婚したことが不思議で仕方ない。
それで綾は大学を卒業して就職を期に上京、夢に描いたアパレル企業で働き始めます。
人から羨ましがられる人生を手に入れるための戦いが始まるのでした。
三軒茶屋から恵比寿、銀座と住処と仕事を変えて、順調にキャリアを手に入れているように見える綾でしたが、結婚については難航します。
仕事の成功、おしゃれな暮らし、ほしいものすべてを手に入れたい。
それなのに恋人からは結婚相手としては選ばれず、傷つくことも経験してしまう。
結婚願望のない御曹司と付き合って贅沢に慣れきったりするものの、
やがて周囲の関心が出産に移行すると途端に焦りだす。よくあるパターンです。
出産は大きな分岐点ではある
さんざん遊んでふと気づけば、周囲はどんどん母親になっている。
33歳をすぎると友人たちの価値観の変化を知って、驚き我に返ります。
キャリアや結婚は年齢はさほど関係なく、年を取ってからでも頑張れば手に入れられるかも。だけど出産はのんびり構えてはいられない。
ドラマでもそうですが、本当に子供が欲しいのかわからず、結婚する相手すらいないのに漠然と焦りを感じる女性は多い。そしてとにかく焦って婚活に励みだす。その気持ちはわかります。キャリアだろうが、専業主婦だろうが、立場に関係なく子供がほしい純粋な気持ちはあるはずです。
だけど人間は損得の感情も持ち合わせている生き物。子供を産むことで専業主婦への免罪符を手に入れられるとか、自分が年を取ったときに安心できる投資と考える人だっている。一方、子供を産まない選択をしたキャリアの女たちは、明らかに子持ち主婦を見下げています。正論なようでそれもまたマウンティングです。
綾は必死の婚活でどうにか結婚するのですが、彼との間に子供はできない。
そんな中、子供自慢ばかりの知人を愚痴ると、彼女の夫が「女にそれ以上の価値はないだろ」と普通に言ってしまうところは、なかなか興味深かったですね。
綾は子供を欲しいと思いながら、迷っているのが明らか。
だからラストは納得できたかな。
東京はあまり関係がない(どこに住みたいか?)
ドラマでは、夢に溢れてキラキラ輝く成功の象徴の場所として東京が登場しています。富と権力と幸福の象徴みたいですが、実際、生まれも育ちも東京だからってキラキラしているとは限らない。
むしろこの話に登場するわかりやすい東京人なんてほんの一部。
実は地方より、東京の暮らし方は細分化されていて、案外地味に見せている人の方がお金持ちなことが多いし、派手そうな人は借金だらけだったりするのはよくある話です。
今はまたコロナの影響から、これまでと違う場所にスポットが当てられています。
▼ランキングでは価値観が変化して、中野、赤羽、北千住、などが人気。
▼面白いから全国で住みたい街を調べたら、横浜と札幌が人気でなるほど。
ちなみに私が、機会があったら住んでみたい街は、横浜、広島、札幌、長崎、かな。豊洲のタワマンには住みたくないです。
マンティングはやめられない
綾は、三軒茶屋、恵比寿、銀座、豊洲、代々木上原と暮らしを変えていきます。街ごとに恋の相手も遊び相手もいましたが、結局どこも、自分の居場所として腰を据えられる場所ではなかった。
そして東京の暮らしに疲れて秋田に帰省しますが、そこでは平和でのんびりした暮らしが待ってました。綾はほしいものが何もない町、競わないで済む場所に居心地のよさを感じます。
だけど、本当にそうかなと私は疑問でした。
のんびりと緩そうに見える田舎の茶の間で、綾の母親は、実家が下町の青果店でも周囲からは「東京から来た人」と特別な目でいまだに見られています。
当たり前ですが、秋田でもヒエラルキーが存在している。
きっと秋田に戻って結婚したところで、女の闘いは待っているはず。
もしかしたら閉鎖的なぶん、東京よりも根深いかもしれない。
綾の幼少期の回想で、自分のおもちゃが友人たちと違うからと綾は泣きます。父親は「その友達が死んだらお前も死ぬのか?」ともっともすぎることを言いますが、母親は綾を慰めながら「女は足並みを揃えながら成長していくもの」と逆に父親を諭します。
その足並みとは比較でもある。おそらく日本(ほかの国にだってあるだろうけど)に住んでいる以上、多くの女はマウンティングの感情から逃れることはできない気がする。絶えず誰かと比較しながらでないと自分の幸せを実感できないように教育されているんじゃないだろうか。そんなことを考えました。
どこにいても「井の中の蛙」。女というものは、比べながら生きる性から逃れられないものかも(自分も含めて)と感慨深くなったお話しでした。
ドラマの中で、ゲーム感覚で「コンプリート」という言葉がたまに出てきましたが、それほど、彼女らは楽観的に生きているようには見えない。
彼女たちの頭の中に実はゲーム感はないかな。
もっと必死ですよ、きっと。
それではまた。
のじれいか でした。