こんにちは。 のじれいか(@noji_rei)です。
映画『未来よ こんにちは』(THINGS TO COME)は、イザベル・ユペールがヒロインの人生ドラマ。
彼女は哲学教師教師、あらゆる時間の流れを感じさせる出来事と遭遇しながら、それでも淡々と前を向い生きています。
それらの出来事は多くの人が経験していることでもある。
けれども、そのすべてを淡々と同じ日常のように描いてしまうところが、さすがフランス映画といった印象でした。
また、主人公の感情が極力抑えられ、見る側に委ねられる場面があるのが魅力。
ここでは、ストーリーと、主人公の心情や人間関係で気になったところを、ネタバレありでご紹介します!
よろしければお付き合いください。
【映画】『未来よ こんにちは』
作品情報
フランス・ドイツ 2016年 102分
監督:ミア・ハンセン=ラブ
キャスト
イザベル・ユぺール、アンドレ・マルコン、ロマン・コリンカ、エディット・スコブ、サラ・ル・ピカール
予告
ストーリー
学校で哲学を教えているナタリー(イザベル・ユぺール)は、独立した娘と息子、そしてやはり哲学教師の夫・ハインツ(アンドレ・マルコン)とパリで暮らしている。
ナタリーは教科書の執筆に追われながらも、高齢でワガママな母・イヴェット(エディット・スコブ)の介護に追われ、忙しく過ごしていた。
一方、優秀な元生徒・ファビアン(ロマン・コリンカ)に対して好意的、才能を買っているが、それ以上の好意があるようにも。
これまで受け入れられていたナタリーの執筆本だが、出版社からナタリーの本は、内容が古いため、売り上げが芳しくなく、リライトや表紙の変更を求められる。
あまり気分がよくないナタリーが帰宅すると、夫から突然「好きな人ができた」からと離婚を切り出され、ナタリーは仰天する。
やがて施設に入所させた母が急逝し、出版社からは教科書の再版はないと言われてしまう。
バカンスが近づき、行き場のないナタリーは、仲間と田舎暮らしをするファビアンのもとを訪ねるのだが……。
ナタリーに訪れる変化(ネタバレあり)
小さな変化から大きな変化もありますが、比較的すべてが淡々と過ぎます。
・フランクとナタリー離婚
・母イヴィット施設に入居
・母イヴィット亡くなる
・ナタリーの執筆本、内容の変革が求められ、以前どおりにはいかなくなる
・ナタリーの生徒、哲学のWebサイト立ち上げ、ナタリーを監修に雇う話をされる
・離婚によりバカンスの場所を失う(夫の実家)
・ファビアンが仲間と田舎に転居
・娘クロエの出産
どれもがナタリーという女性にとっては決して小さくないない変化。娘クロエの出産以外は、悲しい出来事や、変化に晒されることでつらい現実といえますが、時間だけは同じく流れていくのでした。
25年目の離婚(ネタバレあり)
ナタリーと夫のハインツは結婚して25年。離婚を切り出すハインツは、ナタリーへの愛が変わったのではない、だけど相手の女性とは随分前から出会っていて関係もあったことも打ち明けます。
ナタリーは無論ショックを受けます。唖然としているというのが近いかも。ただ思ったよりは冷静で、「死ぬまで一緒だと思っていた」と素直な気持ちを告げます。
この離婚劇の裏には、実は以前から父の不倫に密かに気づいていた、娘のクロエ(サラ・ル・ピカール)が「どちらかに決めてほしい」と父に言い寄る場面がありました。
娘としてはおそらく、父の浮気を母ナタリーだけが知らない現実が耐えられなかったのでしょう。でもこれが日本であれば「お母さんには絶対話さないで」となる可能性が大なので、これも国民性と言えそうです。
その後、クロエは結婚して出産します。つまりナタリーに孫ができたわけで、それも人生の前進であり変化。ナタリーとハインツの関係は終わったけれど、関係は変化していくのでした。
母とナタリーの関係
ナタリーと母は別居していますが、深夜・授業中に構わず、電話をよこす。日常に困難をきたしたナタリーは、仕方なく母を介護施設へ入居させることを決めます。
母イヴィットの家には、美しい写真が飾られている。イヴィットはかつてはモデルで美しい女性でしたが、教養のないコンプレックスがあり、ナタリーを勉強させ哲学の教師にさせていました。
ファビアンという男(ネタバレあり)
ナタリーの元生徒のファビアンは、哲学で執筆をしているだけあって自由人、そしてハンサム。そんなファビアンにナタリーはおすすめの本を貸して好意的に接します。
でも夫のハインツは、ファビアンが狡猾で自分の目的のためにナタリーを利用しているとそれとなく忠告します。夫からまだ離婚を告げられていないナタリーは「嫉妬してる?」と本気で聞こうとはしません。
やがてナタリーは離婚し、夫の実家でバカンスに過ごしたブルゴーニュの家には行かれなくなり、その後しばらくで母が亡くなるので、母が飼っていた猫のパンドラを連れてファビアンが仲間と暮らす田舎の家に向かいます。
おそらくナタリーは、心密かにファビアンとなら裏切られることなく楽しい時間が過ごせると考えていた。それに好意もあったから何かしら期待した部分もあったのかも。ところが思想をめぐってナタリーとファビアンは意見が合わず、衝突してしまう。
また同時にナタリー自身、ファビアンの仲間たちの熱い討論にジェネレーションギャップを感じてしまった。長い時間を一緒に過ごすと見えてしまう違和感がナタリーにもあるのは伝わりましたが、それでもどこかファビアンを拠り所にしたいと感じているように見えるのは女心なのでしょう。
猫が意味するもの(ネタバレあり)
猫のパンドラは、ナタリーの母が飼っていたもので、太った黒猫でナタリー自身、溺愛しているわけではありません。でも母の忘れ形見ではあるので、それなりに責任を持って飼っているはず。
なのでファビアンの自宅をバカンスで訪れるときにも猫は連れていた。
少し気まずいまま、パリに戻ったナタリーは、その後、再びファビアンの家を訪ねます。でも今度は一泊だけ。それは猫のパンドラをファビアンに譲るという目的があったからでした。
ナタリーとファビアンの間にどのような遣り取りがあったかは分かりません。ただ最初のときはいらないと笑っていた猫を引き取りたいと考えたファビアンには和解の姿勢があったのかもしれないし、ナタリーは自然に恵まれた環境の方が猫も暮らしやすいと考えたと捉えることができる。
ただ、その一方でナタリーはファビアンを愛していて、自分の身代わりのような気持ちで猫を託したのではないか。そんなふうにも思えたのでした。
▼イザベル・ユぺールの映画はこちらにも!
それではまた。のじれいか でした。