映画『追憶』(『THE WAY WE WERE 』)
1970年代に上映され、現代でもファンの多い名作映画です。
子供の頃テレビで放映されてましたが、改めて見ると、好きだけではやっていけない大人の事情と人生のどうしようもなさに、胸が切なくなりました。
どうしてそう感じたのか、掘り下げてみようと思います。
作品情報
製作年度 |
1973年 |
上映時間 |
118分 |
監督 |
シドニー・ボラック |
キャスト |
バーブラ・ストライサンド、ロバート・レットフォード |
感想・ネタバレ
この作品の好きなところ・見どころなど
まず音楽がすばらしくいい。昔の映画はサントラに力を入れていて、映画とオリジナルの曲はセットに考えられていました。最近ではそういう傾向があまりないような。
映画音楽の巨匠と呼ばれ『ニューシネマパラダイス』『海の上のピアニスト』など、映像と共に浮かび上がる音楽をつくりあげたエンニオ・モリコーネは、7月6日にこの世を去ったばかりです。
『追憶』で音楽を担当したのは、マーヴィン・ハムリッシュ。『普通の人々』でも音楽を担当していたので、ロバート・レッドフォード繋がりなのかもしれません。
主題歌を歌うのはヒロインのケイティを演じるバーブラ・ストライサンドです。「ばかな私ね」とまではいきませんが、後悔と未練たっぷりな歌詞を自業自得と笑い飛ばすにはあまりにも切なく心に沁みます。
映像も美しい。
ファッションも艶やかで素敵です。頑なで地味だったケイティも社会人になり、恋をして艶やかになる変化も見所ですね。
ロバートレッドフォード演じるアデルの軍服姿も精悍です。
これはストーリーとは別の話ですが、アデルは劇中でずっと同じプラチナらしき太いブレスレットとネックレスを付けています。昔のヤンキーアイテムみたいな喜平ブレスなんですが、これが似合うのはおそらくロバートレッドフォードだけでしょうね。
そして何より感動的なのは一組の男女の出会いから別れの20年の年月を、とても繊細に描いたところ。
ただハベルとケイティの2人は、出会ったときから既に別れが決まっていたと言い切れるほど考え方が真逆です。
だからこそ惹かれ合うのでしょうが、結果がどうであれ、出会えたことを幸せだと思えばいい、この映画はそう教えてくれているようにも思えます。
イマイチなところ、ケイティをどう捉えるか
ケイティは大学のときから左翼思想の活動家で、ハベルはブルジョワ好きで人生を楽しみたい陽気な男性。
そんな2人は大学で出会います。最初ハベルを避けていたケイティでしたが、卒業後、再会したハベルに目がハートになるケイティは、別人のようにハベルを積極的に押しまくります。
合わないことがわかっているハベルは逃げ腰ですが、社会人になり美しくなったケイティに惹かれてやがて恋仲に。
それなのにケイティはとにかく我が強くて、特に思想では絶対に自分の考えを曲げようとしない。賢いけれど心の奥にすごく孤独を抱えている。だからこそ明るくて人気のあるハベルに対してコンプレックスもあって素直になれず、事あるごとに衝突してしまいます。
ケイティのキャラクターをどう捉えるかは見る人によって大きく異なると思います。
私は、自由に発言するのは構わないと思うし、ケイティがとても魅力的な女性なことはわかります。けれどハベルとの人生を選んだ時点で、相当自分を変えなければ一緒にいられないとわかっているはずなのに、何故彼と戦ってしまうだろうと切なくなりした。
年齢を重ねても同じようなことを繰り返す姿には、歯痒さを感じずにはいられませんでしたね。
考察と感想
時代は学生運動が盛んだった1937年。
明るくて友人の多いハベル。そんな彼と一緒にいられることで光りが当たるケイティは、ハベルのことをとても愛し、同時に依存している。
あれほどケイティが政治的な発言に対してムキになるのは、時代的な背景も考えられます。おそらく当時はアメリカでも女性が現代ように、自由に発言できる世の中ではなく、だから色々と頑張らければいけなかった。
頑張るケイティをハベルは眩しく感じていたけれど、やはり自分の人生に必要な人とは違う。
大学を卒業後、軍人を経て脚本家になったハベルは、人生の夢や目標を持っている人。だからケイティの押しの強さや個性に魅力を感じても、彼女の人生に合わせていくことは無理だとわかっているんです。
このドラマの中で繰り返されるハベルからの「僕たちは合わない」に、ケイティは最後まで耳を傾けようとしない。ただの喧嘩とは違う根本的な問題なのに目を背けてしまいます。
ハベルとケイティの2人の愛情を量ることができたら、ケイティの愛情の方がどうしても強い。これがハベルがケイティを追う関係だったら違っていたと思います。ただしケイティは好きな人に甘えたい一方で肉食系女子でもあるので、追われる関係だったらどうなっていたでしょうか、ちょっと想像がつかないですね。
結婚は正論だけでは続かない、社会性が必要。
愛ですら、ときには社会性が必要なのかもしれません。
ちょっとケイティを責めたくもなってしまうのですが、ラストの抱擁のシーンにはあまりにも切なくて泣けました。ここがこの映画でもっとも表現したかったところではないかと私は思うのです。
さいごに
男女の出会いと別れを描いた映画『追憶』について話してきました。
男と女は惚れた方が負けってことはケイティもわかっていた。だからこそ苦しかった。
どれだけ深く関わっても、ケイティはハベルと一体化できている実感が弱い。そういう感情もあってハベルを追い詰めてしまう。
昔の恋愛映画を見ていて感じるのは、恋愛は不変、ということ。
これに似た経験をした人を知っていますが、やはり色々苦しみながら別々の人生を歩むことを決めています。
たとえ別れても、恋愛ができたこと、相手と出会えたことは人生を豊かにしてくれるのは確か。
でもそう思えるのには時間がかかります。
恋愛って色々とエネルギーが必要ですね。
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それではまた。
のじれいか でした。