『揺れ恐怖症』。
あまり耳慣れない恐怖症かもしれません。
『高所恐怖症』『閉所恐怖症』『先端恐怖症』みたいにメジャーではない恐怖症。
だけど『揺れ恐怖症』はやっかいで、なかなか闇の深い恐怖症です。
今回のモデルは、私自身です。
自覚したのは幼少期
物心がついたとき、
たぶん幼稚園に入る前には自覚するようになっていたと思います。
実家のダイニングでテーブルの上に下がっているペンダントライトを見たときでした。
怖いというより不安というのが近いかもしれません。
ペンダントライトは天井から紐で下がり、風や人の頭がぶつかったときに揺れるのが普通ですが、私はそれを見て不安を感じて、直視できなくなりました。
母に必死に説明したのですが、理解してもらえません。
意味がわからなかったのだと思います。
私の懸命な訴えに両親は、照明にクマさんのマスコット人形をぶら下げたのです。
揺れるのが怖いのなら、かわいいものを下げてけば大丈夫では?
そんなふうに思ったのでしょう。
「そうじゃない、そうじゃないの」
必死に説明を繰り返しますが、結局のところ意思の疎通をはかることはできませんでした。
気づいていながら面倒でスルーされたのかも。
そんなブラックな感情もこみ上げてきます。
仕方なく下を向き慌てて食事をするのですが、何かのたびに揺れるので恐怖です。
頭上を揺れる照明が照らしているので、部屋全体が揺れているように見えてしまう。
試しに目を閉じてみましたが、残像が残って余計に辛い。
慌てて食事を済ませると、ダッシュで部屋に戻る生活を何年も送りました。
だんだん話さなくなった
小学校に通うようになると一時的に不安が改善された気がしましたが、
実はそんなことはありませんでした。
怖いものは家の中だけじゃない。視野が広がれば怖いものが増えます。
今度はブランコの揺れが怖くて正視できなくなりました。
乗っているときはまだ耐えられるのですが、降りて誰も乗っていないブランコが揺れ続けるのを見ると、内蔵が震えるように熱くなります。
ブランコを見て怖がっている人は誰もいない。
そう、私と同じ感じ方をしている人はいなさそうでした。
仲のよい同級生に打ち明けたことがありますが、
誰からも共感してもらえませんでしたし、意味がわからない様子でした。
そこで気づきました。
「ああ、そうかこの感じは、私の脳の中だけで起きている感覚なんだ」
それからは表立って人に話すのを止めました。
克服法はあるのか
怖さは自分の中にあるんだと気づき、内に籠るようになりました。
怖いものは照明やブランコ以外にだって世の中にたくさんあります。
たとえば、
モビール
縦に下がる布のブラインドウ
液体の揺れも苦手。
ラーメンも食べ終えて残ったスープを見るのが辛いので、滅多に食べに行きません。
(ラーメン自体あまり好きではないのもありますが)
人に誘われたとき、食べ終わってスープが揺れるのが怖いから無理なんて、
到底話せませんし、それこそ意味不明と思われてしまいます。
人には話さず、耐えてきました。
苦しい、これがなかったらどんなに楽だろう、
克服したいと強く感じるようになっていったのです。
そして私は、救いを求めてクリニックに通い始めました。
病院にさえ行けばすっかり治ると信じていたのです。
医師に症状を説明しました。人に話したのは久しぶりのことでしたが、
やはりあまり多くはない症例のようでした。
最初のクリニックではまるで理解されず、苦しみながらメンクリジプシーをするうち、病院では治らないこともあるのだなと、少しずつですが諦められるように。
その後、インターネットで情報が入手できるようになると、
揺れ恐怖症という微妙な病名が存在することを知りました。
私だけじゃないんだ。
そう思えたのは救いですが、でもマイナーな症状には違いない。
理解できない人からは
「どうしてそんなものが怖いの?」
「見なきゃいいんじゃない?」
と軽く言われてしまうのですが、
そんなに簡単に片付くことならそもそも苦労していません。
現在私は、10年近く通うクリニックで処方された薬を飲み続けています。
体調によって効き方にムラがありますし、薬自体、毎日服用しているわけでもありません。何故なら飲んでも治りはしない、治癒するための薬ではないからです。
怖いと思う感情も、気づけば忘れているときもあるし、
そうかと思えば急に不安が忍び寄り、かなりしつこいときもあります。
同じ症状で悩む人に何か言えることはあるだろうか。
そのことを考えてみました。
まず言えることは、残念ですが、たぶん治療法はないということ。
だけど病院には絶対に行った方がいい。
諦めずに病院には行って貰いたいです。
そこで薬を処方してもらい苦しいときは無理せず飲む。
あとは視覚を和らげたり、気になって仕方ない意識を他所に向ける工夫をする。
目を休めること、心を休めることは大事です。
こちらの本は参考になるかも。
せっかくの人生。
私みたいに遠回りはしてほしくありません。
だから無理に治すことに時間を使わず、
月並みな言葉になってしまうのですが、いい意味で諦めてほしい。
完璧になろうと思わなずに、こういう人間なんだよねと、
自分を受け止めることが、克服法といえば克服法なのかなと、今は思います。
それでは。
のじれいか でした。