キレイなトイレ調査研究所

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我慢することに慣れ過ぎてしまうと表現力が失われる【自己開示】

今回は、生まれ育ちや容姿など、頑張っても解決できない欠点のある人、それに悩むうちに自己開示ができなくなった話です。

なので、解決できない欠点を持ち合わせない人や、心が縛られていない人には、今回の記事は関係のない内容だと思います。

 

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さて、あなたが他人から、嫌なことを言われたり、コンプレックスを人前で晒されるなどの意地悪をされたら、どうしますか?


1 言い返す
2 闘う
3 悲しみにくれる
4 聞こえないふりをする

 

おそらくもっとも世間的に推奨されるのは「4 聞こえないふりをする」ではないでしょうか。
聞こえないフリをしてスルーか聞き流すのは、大人な対応だと思われている。
相手もよほどしつこい性格でない限り、無反応だと面白くないので矛先を変えることが多そうです。


私はそうやって、聞こえないふりをしつつ、やり過ごしてきましたが、本当にそれでよかったのだろうかと考えるようになりました。 

いまだ問題は解決しないのですが、そうなるに至った経緯と、解決するために取り組んだことを書いていこうと思います。

 

 

 

我慢してきたことで起こる現象

 

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本当に気にしていることを人前で晒されることは、他人が考えている以上に傷つくことです。
だけど傷ついていることを表に出してしまうと、そこまで気にしていることを周囲に悟られてしまうようで、当時の私はそれを避けたかった。

なので、本心を隠すことで心の均整を計るようにしていたんですが、それを長年続けていくと、それ以外の自分の本心というか、自分の内面に対して鈍感になっていることに気づきました。

 

感じることに鈍感になる

 

職場での打ち合わせや会議、学校で友人と話しているときなどに「あなたはどう思う?」と考えを聞かれることがありますよね。仕事としての発言もプライベートな言葉も自分の考えを表に出すということでは同じこと。

あるとき私は、そういうとき自分の考えを何一つ外に向かって吐き出せないことに気づきました。

こんなんじゃなかった。
もっと色々考えていた。

違う、今だって考えているはずなのに、自分の考えがすっと表に出てこない。
自己開示の力が低下してしまっていたのです。

 

無口になって心を閉ざす

 

以前はわがままだと言われるくらいに、自分の考えを口にできたのに、表現の方法がわからなくなって無口になり、そのうち人といるのが憂鬱になりました。
それはそうですよね、人といると自分じゃなくなるから。

 

レポートや文章を考えるのも苦手になりました。
テーマが決まっているものは、まだ何とか書けたり話したりできたのですが、自分から発想することができなくなりました。


本を読んだり映画を観るのは昔から好きでしたが、感想が書けないし想いを話すことができない。
何かしら感じているに決まってるのに、引き出すことができなくなってしまった。

それって大変なことだから、その時点で、傷ついていると認めばよかったのに、それでも傷を誤魔化そうといして、心が閉じたままなのに、嘘でも感じているように振る舞い続けました。

 

自己開示できなさ過ぎて破壊寸前に

 

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すごい息苦しさで限界に達し、このままだとまずいと思うようになりました。
小手先での誤魔化しが効かなくなってしまったんです。

どうしたらいいんだろう。
悩んだ末に、シンプルな答えに辿り着きました。

無理をしなければ続かないことはすべてやめる。
人間関係、仕事、家族に対しても接するときは無理をしない。

苛ついたら怒っていい。
聞こえないフリなんてする必要はない。
感じたとおりに行動していい。

そう心に念じるうちに、少しずつですが気持ちが柔らかくなった気がします。 

 

ただひたすら映画を観る


自分の心を取り戻したいのと、これは訳あって自分の感性を取り戻す必要があるからと、必死に映画を観ました。

必死に観るって変なのですが、でも実際に必死でしたね。

だけど最初は苦痛というか、映画の世界に入れなかったのですが、それでも諦めないで観続けました。
心に残らないものは悪い映画じゃなくて、そのとき心が求めていないものなんだなと割り切って、何本も映画を観ました。

映画館にもよく行きましたね。シネコンよりは二本立てをやっている映画館が好きです。既視感のある映画からカタルシスを得られる気がするからかもしれません。

東京にある、おすすめ「二本立て映画館」4選!現在でも生き残り続ける素敵な名画座たち。 | トトの映画と一人旅


そんなふうに、心が動く映画を求めるうちに何本かに1本ですが、心に深く沁みる映画に出会えるようになりました。

そうしたら、自分の心に「何に感じ入ったの?」と尋ねる行為を繰り返しました。
ただ漠然と「面白かった」「感動した」ではなくて、「どこが、どういうふうに?」としつこく自分の心に問うようにしていきました。

あと、観た映画はメモやFilmarksなどのレビューサイトに記録するようにして、必ず何かしらに残しました。
一日最低でも1本観ているので、忘れてしまうんですよね。
これは現在も続けています。

 

傷ついたことから逃れずに

 

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過度に感傷的になりたいのではありませんが、自分の心の傷に気づかないフリをしてやり過ごすことは自分のために絶対よくないし、所詮、気づかないフリなんてできないんです。

スルーして心から幸せになれる人はそれでも構わないと思いますけど、現代はネットでの誹謗中傷が大きな問題になっていて、顔も知らない人からの言葉の暴力だって凶器になり得ると言われている。

ましてや知っている人や、面と向かって言葉の暴力を受けたとき、聞き流す必要なんてまるでないんだってことを自覚できるようになりました。

人はそんなに強くない。
それでいい気がしてきました。


もしこの話に少しでも共感できる人は、無理せずに生きていくことで、救いを得て欲しい。心が堅くなってしまった人は、映画や小説、音楽、絵画、などの誰かが作り上げた世界観に心の救いを求めることを強くおすすめします。

一見して逃げるように思われるかもしれませんが、そうじゃない。
心の筋トレになると思います。
おすすめです。

 

noji-rei.hatenablog.com

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それではまた。
のじれいか でした。