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【映画】『リバーズ・エッジ』吉沢亮の狂気と切なさと【ネタバレ・感想】

映画『リバーズ・エッジ』。漫画家、岡崎京子が手掛けた作品の実写版です。

爽やかな青春ストーリーとは違って、描かれているのは高校生たちの閉塞感。好き嫌いが別れる作品かもしれません。

二階堂ふみと吉沢亮が主演。

『リバーズ・エッジ』を観て感じたこと、好きなところ、残念に感じたところを書いていきます。 

 

 

 

リバーズ・エッジ

 

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作品情報

 

製作年度

2017年

上映時間

118分

監督

行定勲

  

予告

 

www.youtube.com

 

公式

 

movie-riversedge.jp

 

淀んだ川のなかで生きる10代

 

1990年代の中頃、淀んだ川が流れる街に暮らす、同じ高校に通う男女。

青春を謳歌している年頃なのに、ほぼ全員が問題を抱えている。

●主な登場人物

若草ハルナ(二階堂ふみ)▶︎母と二人暮らしの美少女

山田一郎(吉沢亮)▶︎美少年のゲイ。学校に好きな男子がいる

吉川こずえ(SUMIRE)▶︎下級生の人気モデル。摂食障害

観音崎 峠(上杉柊平)▶︎ハルナの彼氏。家庭に居場所がなく、薬の売買をしている、ハルナに執着するあまり、嫉妬心から山田を虐める

小山ルミ(土居志央梨)▶︎友人に隠れて援助交際や、観音崎とも関係を持つ。不仲な姉(富山えり子)がいる

田島カンナ(森川葵)▶︎山田の表向きの彼女。山田と親しいハルナに嫉妬

 

物語の主人公は、ハルナと山田ですが、登場人物のほぼ全員が一癖も二癖もある。

ハルナも葛藤を抱えていますが、まともといえば一番まともなのかも。

 

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ハルナと山田は、観音崎に虐められた山田を、ハルナが助けたのが縁で親しくなります。

山田は、ハルナを河原の草むらに連れて行き、以前からそこに放置されている人間の遺体を見せる。身元不明の遺体を見るため、時折この場所を訪れる山田は、遺体を見ると安心できるとハルナに話すのでした。

遺体の存在を知るのは、山田とこずえ。

こずえは高校の下級生で、テレビCMなどに出演するモデル。摂食障害を抱えたギリギリの状態。自分と遺体を比べて勝った気持ちになっている。

山田が同性愛者なのをハルナやこずえは知っているけれど、山田の彼女のカンナは知らない。だから山田とハルナの関係に嫉妬します。

 

 

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観音崎が山田を虐める理由は、ハルナと山田の仲を疑い嫉妬しているから。ハルナに強く執着する割には、自分も隠れてハルナの友だちルミと関係を持っています。


ルミはルミで、不特定多数の男と関係を持つことで心の穴を埋めようとしている。ルミが観音崎と関係を持つのは、恋愛関係ではなく、観音崎の持つ薬をアテにして。でもハルナに比べて、自分が観音崎から雑に扱われていることに苛立ちを感じてもいる。


そんなルミは、ある日、自分が妊娠していることに気づく。誰が相手かわからないルミは、観音崎に責任を取らせようとして口論に。結果、観音崎はルミに手をかけてしまう。

ルミが死んだと勘違いした観音崎はパニックに。そこに偶然山田が現れる。二人が離れたすきに意識が戻ったルミは立ち去る。

一方、嫉妬に狂ったカンナは、ハルナが暮らす団地にの部屋を放火。自らも焼死する。

全員が狂っているのですが、そもそも青春なんてそんなに美しいものじゃない。不安定で自分の力ではどうにもできない感情を誰もが抱えているものです。

 

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好きなところ・虐められているけど罪な男

 

 

 


山田は観音崎から殴られ、一見とても気の毒ですが、実は気が弱い観音崎なんかより、よほど腹を括って生きている。

山田一郎という人は、自分にとって大切なものと、どうでもいいものの区別がすごくしっかりできている。あえて主張しないけれど、特に隠しだてしていない。

好きな男子のことは見つめるだけで満たされ、彼女のカンナには無関心で、ときにつらく当たる。すごく罪な男です。

河原の遺体に対しては執着があり「自分が生きているか死んでいるかわからないけれど、遺体を見る勇気がでる」と山田は語る。そして付き合っていたカンナが死んでからは、よくカンナの幽霊らしい気配を感じるようになったと言い、生きているときのカンナより、死んだカンナの方が好きだと言えてしまう。


それは山田が子供の頃から虐められてきて、生きるために現実離れした感覚を持っているため。山田の持つ率直な狂気は興味深かったですし、吉沢亮にははまり役だったと思います。

 

遺体を埋めることで守ろうとする、山田とこずえ

 

校内で、河原に大金が埋まっているという噂が立ち、大勢で掘り起こそうとするのですが、そこには遺体があるので、山田とこずえにとっては聖地が汚されるのと同じ。

遺体を見ることで、山田とこずえはそれぞれにカタルシスを得ていたけれど、他人に存在を知られて汚されるくらいならと、山田とこずえ、それにハルナは、河原の遺体を埋めてしまいます。

1990年代の匂い

 

この映画は2017年の作品ですが、原作は1990年に発表されている。決して現代に置き換えようとせず、当時の空気を可能な限り再現させようと努力しているのは、ファッションや建物・インテリアなどのディテールからも感じ取れます。

岡崎京子らしい渋谷系の音楽カルチャーが台詞のなかに織り込まれているところも、時代感が出ていました。何より違うところはインターネットがない時代で、自己表現や他者とのコミュニケーションへの悩みがきっと今とは異なるところ。実際には90年代には携帯電話は普及していたのですが、本作中では携帯は誰も持っていません。

物語にところどころ出てくる日常の残酷さも、現代ではダメな部分なのですが、人間臭さはこの方が表現できている。生きることはきれいごとではない。でも今の同世代の10代にこの感覚が伝わるかといえば疑問ですが、どうなんだろう。

ただ、岡崎京子の作品を映像化する以上、ここは避けて通れなかったはずで、この話を今、映画化するには、色々と勇気が必要だったように思えます。

 

インタビューの必要性・残念だったところ

 

 

 

物語の中で、ストーリーとは関係なく、出演者たちがインタビューを受けます。
そこでそれぞれの本音や建前といった、会話の中で収まりきれなかった思いが語られる。

物語の進行では入れられなかった台詞をあえて別で引き出して入れたのでしょうが、すごくいい台詞なのに、物語本編の台詞じゃないのがすごく残念。やはりここはどうしても、会話の中で表現して欲しかった。

ただカンナへのインタビューは死んでから出てくるところが象徴的でした。「生きていてよかった」ところは? と尋ねられて、カンナが答えられないのが、カンナが自ら死を選んだことへの回答だということでしょうか。

 

ウィリアム・ギブスンの詩でラストが光る

 

 


カンナが放火したため部屋がめちゃめちゃになり、ハルナと母は街を出ることに決めます。

夜、引越しの前日、山田がかんなを尋ね、SF作家のウィリアム・ギブスン(William Gibson)の詩集を手渡します。『平坦な戦場で僕らが生き延びること』

この街は悪疫のときにあって僕らの短い永遠を知っていた
僕らの短い永遠
僕らの愛
僕らの愛は知っていた
待場レヴェルののっぺりした壁を
僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を
僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を

(The Beloved (Voices for three Heads)in ARTRANDOM Robert Longo 愛する人(みっつの頭のための声)より 

 

 



ウィリアム・ギブスンはSF作家で、岡崎京子がこの詩に十代の感情をあてはめたもの。以前「岡崎京子展 戦場のガールズライフ」(2015年 世田谷文学館で開催)でも、この詩が引用されていたのを思い出しました。

二階堂ふみと吉沢亮が、映画のラストでこの詩の一説を朗読します。90年代、工場地帯の夜の街。流れ落ちる一瞬の感情を絶妙に捉えています。行定勲監督はこういう表現が得意と知りながら、すっかりやられてしまいました。


▼行定勲監督とアミューズの映画

noji-rei.hatenablog.com

 


それではまた。
のじれいか でした。