こんにちは。 のじれいか(@noji_rei)です。
映画『林檎とポラロイド』は、記憶喪失が流行する街で、記憶を失う男の話です。
SF・コメディにジャンルされているみたいですが、一言で説明しづらい映画でした。
映像がかっこいい。エグゼクティブプロデューサーはケイト・ブランシェット
ミニシアター系映画が好きな人は大好物かも〜
記憶を失くした男の日常が淡々と流れていく。
また、彼の記憶については、あらゆる考察ができる物語でもありました。
男の記憶喪失について、個人的な考察を描きます、よろしければお付き合いください!
【映画】『林檎とポラロイド』
作品情報
監督:クリストス・ニク
2022年 119分 ギリシャ・ポーランド・スロベニア
<キャスト>
・アリス・セルヴェタリス
・ソフィア・ゲオルゴヴァシリ
・アナ・カレジドゥ
・アルジェリス・バキルティス
ストーリー
街では記憶喪失が流行している。
部屋でひとり持て余し気味に過ごしていた男は、バスの終点で目覚めると記憶を失っていた。男が覚えているのは林檎が好きということだけ。
収容先で養生し、再生プログラムに参加することになった男は、医師たちの勧めによるあらゆるミッションをこなし、その結果をポラロイド写真に収めるようにと指示される。
やがて同じように記憶喪失になった女と出会い、一緒に出かけつつ、プログラムをこなしていくようになるのだが……。
好きなところ
生真面目なようでコミカル要素多め(ネタバレあり)
話の概要だけだと、何やらパンデミックによるパニック映画を連想してしまうかもですが、全く違います。
すごく静かで淡々としていて、それでいてどこか可笑しみがあり、後半は切ない。
そんな映画です。
男は記憶を失って、病院に送られます。治療や状態を調べるため、数枚のイラストを渡され、流れてくる音楽からイメージするイラストを選びます。
すると『ジングルベル』で結婚式のイラストを。『白鳥の湖』でラテンっぽいメキシカンハットを被ったイラストを男はチョイス。
あと、恐怖心を教えるためのプログラムなのか、プールの10mの飛び込み台からジャンプをさせようとするところは面白かったですね。
ハロウィンでもないのに大人が集まってコスプレをする場面も笑えます。
また医師たちの会話も案外適当なところがあったりして、クスッとしました。
新しい記憶をつくる意味は?(ネタバレあり)
記憶を失った男、は再生プログラムに参加することになり、街に部屋を与えられ、新たな生活をスタートさせる。
どうしてかというと、男はIDを持っておらず、誰も引き取りに来ないから。それと一度記憶喪失になると記憶を取り戻すことは不可能で、新しい経験を積み新しい人生を生きるしか術がないから。
男は医師たちから送られるカセットテープに録音された声の指示に従って行動します。ミッションをクリアするごとにポラロイドカメラで写真を撮り、プログラムを遂行した記録を残し、その記録が新たな記憶になっていくのでした。
やがて男は、友達をつくる機会、夜の街で酒を飲み異性と親しくなる機会を与えられる。淡々とした日常を送りながら、その証拠も写真に撮ります。
一見すると退屈にも思える場面が続きますが、男の表情、仕草、行動はおかしみがあります。また、その一方で、なんとも言えない悲しみが感じられるところもありました。
やがて男に仲間が(ネタバレあり)
男はある日、自分と同じくポラロイド写真を撮影する記憶喪失の女と出会います。
女もやはり家族がいないか不仲か、迎えに来る人がおらず、男と同じように街に部屋を充てがわれ再生プログラムに参加していました。
で、男は女と、車に乗ってドライブしたり、酒場に出かけたりするのですが、ある日「酒場で酒を飲み、誰でもいいから一夜限りの関係を持つように」という指示があり、女はその相手に男を選ぶ。結果はわからないのですが、おそらく男は女を選んでいない様子。つまりミッションはクリアできなかったということになります。
その理由は、女と一晩限りの関係を結ぶのが切なかった(女への恋心)とか、自分が一晩限りの相手にされた寂しさ、といった理由からではなく、男は誰とも関係をするつもりがないから。
たぶん、そういう気持ちになれなかったためだと考えられます。
最後のプログラムで男の本心がうかがえる(ネタバレあり)
再生プログラムは、「友人づくり」などの基本的な社会性を養うためなんだろうなとすぐに察しがつくものから、「一晩限りの関係を持つ」といった人間臭いものもある。そうして段々と人生そのものを悟らせる内容へと変化していきます。
やがて「病院に行き、余命わずかな患者に時間をかけて寄り添うように」と指示を受けた男は、病院で見知らぬ男の老人に接します。
老人の妻は記憶喪失で、夫である老人を覚えていないので、病院には老人の娘が寄り添っていました。
男は、そんな老人に食事の介助をして話をします。「恋人はいるのか? 結婚は?」と訊ねられた男は少し迷った末「妻がいたが亡くなった」と老人に話します。
男の記憶喪失についての考察(ネタバレあり)
この映画にはおそらく正解がなく、あらゆる解釈ができるストーリーだと考えられます。
その上で個人的見解を述べますが、男は最初から記憶を失っていなかったのではないでしょうか。
それを思わせる気になった場面をあげていきます。
・アパートの住民の飼い犬
男が記憶を失う前のこと。元の部屋にいたとき、同じアパートの住民の飼犬が男に懐いていました。その後、記憶を失った男は、公園で犬と偶然再会して、つい犬の名前を口にしました。ですが犬がいるということは、その飼い主も近くにいるということ。案の定、飼い主の姿を認めた男は、さりげなくですが身を隠しました。
・昔の歌を歌詞まで覚えている
記憶喪失の女と車で出かけたとき、車中で流れていた『Scarborough Fair』の歌詞をしっかり全部覚えていて、女からも「よく覚えているわね」と驚かれていました。
・林檎ではなくみかんを買う
最初男は、大好きな林檎を買うつもりでせっせと袋に林檎を詰めていましたが、八百屋の主人から「林檎は記憶力の低下を妨げる」と言われ、みかんを買って帰ります。
(つまり記憶を取り戻したくない意識が働いている?)
・老人に「妻は亡くなった」と告白する
前にも書きましたが、再生プログラム病院で亡くなりそうな病人に寄り添えと指示され、見知らぬ老人に関わることになった男は、老人から男自身のことを問われ、妻が亡くなったことを打ち明けます。
その後、老人が亡くなり、葬儀にも立ち会った男は、妻の墓を訪れるのでした。
男の気持ちを推測(ネタバレあり)
個人的な見解ですが、おそらく男は妻の死が耐えがたく、日常を忘れたい願望が募り、記憶を失ったことにしてしまったのではないでしょうか。
けえどそれは決して悪意からではなく、そうすることで少しでも楽になれる、救われると考えたためなのでしょう。
自分を棄てた男は、再生プログラムを経験しながらあることに気づく。(というか実感する羽目になる)
新しい自分になることは、結果的に再び愛する人との永遠の別れを経験することになるかもしれず、また生まれてきた以上、その苦しみから解放されること不可能なことに。
そのことを実感した男は、妻の記憶と共に生きる決意をしたのではないでしょうか。それにやはり妻との記憶は大切にしたいと思い直したのかもしれません。
でも実は、男は本当に記憶喪失になったのかも、そんなふうにも思えるところも。たとえば、記憶喪失になった女が車の運転はどうにかできたように、たとえ人は記憶喪失になっても大切な記憶だけは残している、そんなことが伝えたかったとも言えそうです。(実際インターネット上ではそのような意見が多いみたいでした)
残念だったところ
メリハリの利いた話ではない
テンポよく進む物語ではないので、退屈に感じる人もいるのかも。あと結論がはっきりしない含みのある物語が苦手に感じる人には不向きな映画かもしれないです。
▼不思議なSFはこちらにも
それではまた。のじれいか でした。