キレイなトイレ調査研究所

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愛されないことは悲しいけれど、人生を差し出す必要もない(嫌われる現実を受け止めると楽になる)


嫌われたことはありますか?


その現実をどう考えて、どう受け止めましたか。

 

今回は自分が嫌われて感じたことを書こうと思います。

人間関係で悩んでいる人の参考になれば幸いです。

 

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小学校時代の思い出

 

私は昔、人を嫌ったことがありませんでした。

決していい人だったのではありません。
そのくらい周囲に対して鈍感だったのだと思います。

 

反して、私を嫌う人は結構いました。

子供の頃は、小学校の担任の先生から嫌われていました。

その先生は、成績は普通で特に目立つ生徒でもなかった私を目の敵にして、通信欄には辛辣な言葉を並べました。

「何を考えているの」

「よくわからない人だね」

詳しい内容は覚えていませんが、そう言われたことは記憶に残っています。
でも私はその先生を嫌いではありませんでした。

 

教育熱心な先生で、授業以外でもよく生徒と行動を共にする人でしたし、ご自宅に遊びに行ったこともあります。

ただそれはクラスの生徒たちがいたからで、私と会いたかったわけじゃない。

 

教師という立場上、嫌いな生徒を排除ができなかっただけのこと。

成長するうちにそのことが、理解できるようになりました。

 

 

 

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過剰に人を気にするように

 

自分は嫌われている。

そのことを意識して成長した私は、嫌われることを怖がりながら、無理して人付き合いをするようになりました。


嫌われることに異常に敏感な癖に、嫌われていることに気づかない鈍感さを演じたのです。

そうやって自分の心を隠しているから、心を打ち解け合える人とも出会えなくなります。

嫌なことを言われても聞こえない振りをして、不当な扱いをされても怒ることができなくなりました。

表面的には普通に振る舞っていましたが、内心はもがき苦しんでいました。

 

自分を見失う

 

社会人2年目がすぎた頃、私は人間関係のほとんどをリセットしました。

学生時代の友人関係にはカーストや役割がありました。
私はいてもいなくてもいい存在でしたが、嫌われるのが怖くて周囲に合わせていました。
 

年に数回の食事会の予約、共通の友人に贈る花、メンバーの誰かが誕生日だからプレゼントを発送するなどの行事も、付き合いには含まれていました。

 

たとえば花を贈る相手は、私にとって親しい人ではなく、わざわざ贈り物をするような間柄ではなかったのですが、一人抜けるのも面倒だからとなすがままでいたのです。

あるときメンバーの友人からのメールが誤送信されてきました。それを見た私は一瞬頭が真っ白になりました。


あからさまではありませんでしたが、店選びは「のじ」にやらせておけばいいという冷たい文章でした。

私はここでも嫌われている。
すごいショックで当時は誰かに話すことすらできませんでした。

 

でもしばらくして、ふと気づいたのです。

彼女たちは、私と仕方なく付き合ってくれていたのだと。 

 

 

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一人になって考えてみよう

 

そこで気づかされたのは、私は自分がなぜ嫌われるのかばかりを考え、相手がなぜ私を嫌うかを考えなかったことです。

 

私が私自身に感じている気持ちの悪さを、彼女らも感じていたに違いないと思いました。

彼女たちからすれば、何を考えているのかよくわからない同級生を仲間に入れてあげて、付き合ってあげていた、ただそれだけだと思います。

 

うまくいくはずがない。

 

そう思った私は、友人の一人にプレゼントや決め事などから抜けたいと申し出ました。

友人は少し驚いたようでしたが、特に理由を聞かれることもありませんでした。

  

愛されないことは悲しいけれど

 

ここまで考えなくても、ごく自然に他人との絶妙な距離がつくれる人が世の中にはごまんといます。

「愛されるべき人」とでも言うのでしょうね。

 

だけど私はそうじゃない。

嫌われることばかり恐れて、表面的な付き合いをしていれば、愛されるようになれると思った自分がいかに浅はかだったか今になればよくわかります。

 

その後、色々あって考え方に変化が出てきました。

愛されないことは悲しいことですが、人生は「愛」ばかりでもないと思うようになったからです。

人生に愛はあった方がいいに違いないけれど、愛だけでもない。

それに自分以外の誰かに、自分の人生を差し出す必要もないからです。 

だって人生は自分だけのものだから。

 

何かをやり遂げられたとして、そのときに誰かと喜び合えることができれば。

そうしたら何かが始まるかもしれない。


最近はそう考えています。

 

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それではまた。

のじれいか でした。