こんにちは。
最近よく目にする「毒親」という言葉。
かつて実母に対して抱いた感情。
「どうして?」 「なぜ?」
それが「毒親」という言葉の出現によって、おおよそ説明できてしまったように思えます。
私の母の話です。
母親から言われてきた言葉の中に、自分への本音を感じた私は、次第に距離を置くようになり、現在に至っています。
普通に言われたら、すごく不愉快な言葉も含まれています。
ただ、当時の私は、自分の親の毒を自覚できませんでしたから、どこの親子も似たようなものだと思うようにしていました。
それでも成長するに従い、他所の家との違いを認識せざるを得ないことも増えていったのです。
その1:「母親の方が子供よりキレイにしているのが当たり前」
小学校低学年。
小学校の発表会に着る洋服のことを話していました。
できれば服を新調してほしいこと。
でも無理なら、何を着ればいいかを話したかったのです。
すると突然、母が怒鳴りました。
「あんたは自分のことばかりだ。母親がキレイにしていなくてもいいのか」
「子供より母親の方がキレイにしているのが当たり前なのに!」
私はすごく驚いて、何も言えませんでした。
母は若い時からチヤホヤされきた、お姫様気質のある女性です。
結局、発表会は私はお下がりを着て、その日用に母は服をオーダーしました。
でも子供心ながら、自分はこれから体型が変わるから、我がままな主張をするべきではなかった。
そう感じ、母に申し訳なく思い、反省したのです。
でもどうしてか、そのときの母の言葉は、それから何年も心に残り続けました。
その2:「いやらしい」「あんたなんか」
それから数年。
成長して体型が変化すると、母は私の体を舐めるように眺め、蔑むような視線を送るようになりました。
そして、何かあると「いやらしい」という言葉を口にするようになったのです。
ニットの上から胸を掴まれ「なんだこれは?」と強い口調で詰問されたこともあります。
なので私は、母親から下着を買ってもらったことはありませんでした。
すべて自分のお小遣いとお年玉で買いました。
生理用品もです。
生理が始まったことも、母に話すことができませんでした。
自分でも認めたくなかったところもあるし、そんなことを打ち明けたら何を言われるかわからないと恐怖だったのです。
褒められたことは一度もなく、ことあるごとに「あんたなんか」と蔑まれるようにもなりました。
母の私に対する「いやらしい」と「あんたはなんか」は口癖になり、現在でも母は私を形容するときに用いています。
その3: 「私だったら絶対に無理」
中学校の2年生のとき、あまり思い出したくないことですが、実家に変質者が押し入ったことがありました。
夜、部屋で眠っていたら、首のあたりに違和感があり目を覚ましました。
目の前に男の人が立っていました。
知らない人でした。
幸いにも変質者はすぐにその場を去り、警察を呼んで事情聴取や指紋の採取が深夜まで続きました。
「眠れそう?」と警察の人に聞かれ、私は心配をかけてはいけないと「大丈夫です」と答えました。
話を聞いていた母は、「よく眠れるわね。私だったら絶対に無理だわ」とぽつりと言いました。
世の中の母親だったらもっと普通に心配してくれるものでは、とか、世間一般の考え方を押し付けるつもりはないのですが、突き放すとしか思えない母の言葉はショックでした。
でも聞き返すことや、そのことを問い詰める気持ちにもなれなかった私は、母の言葉を聞きながら、聞こえていないフリをしました。
その4: 「親の介護は女がするもの」
娘が襲われても、他人顔。
年を追うごとに、母の言葉の冷たさを実感するようになった私は、母が私の幸せを喜んでいないことが認識できるようになりました。
多くの人が、自分の母親は、自分の幸せを願ってくれると疑いなく信じられるものでしょう。
でも私の場合は少し違う。
そのことがやっと見えてくるようになりました。
母は、娘として(私は長女です)の役割を果たさせようとしているのが次第に明らかになってきました。
母方の祖母が倒れて入院し、母は叔父と交代で介護をすることに。
私は既に結婚して実家を出ていましたが、 母は頻繁に私を呼びつけ、通院のための運転手や荷物運びを手伝わせました。
手伝うのは構わないのです。
ですが、何かあるたび、「親の介護は娘の仕事」と繰り返されて、さすがに嫌な気分になりました。
私の家には男兄弟がいます。
ですが、彼らはそれらにはノータッチ。
車の免許のお金も、海外旅行の費用も出して貰い、挙句は大学を留年してもお咎めなしです。
私は何かすることが当然と思われていたらしく、「ありがとう」の言葉すら言われたことはありません。
だんだん私は、母と距離を置くようになりました。
自分から実家を訪問する回数を減らし、母からの突然の誘いは断る。
無理をしないようにしました。
すると不思議なのですが、母親という絶対的な存在が、自分の中で徐々に薄れ、遠ざかっていくような気持ちになっていきました。
その5:「そんなこと言ってない!」
母は平気で嘘を吐きます。
具体的には、過去に言ったことを「言っていない」と口にするなど、記憶の書き換え行為です。
自分で作り替えた記憶を他人にも平気で喋ってしまうので、うんざりします。
ちなみに母は認知症ではありません。
頭はいたって正常です。
基本、他愛のないことなので聞き流せます。
ですが、あり得ない武勇伝が伝わっているといい気分はしません。
そういうとき、自分がいかに素晴らしい人間かを、まるで現実かのように語るのでイライラしますし、さすがに長時間は付き合えません。
諦めていましたが、一度どうにも我慢できない内容をやんわりと指摘したところ、ブチ切れて大騒ぎに。
いくら説明しても、母は私の言葉には絶対に耳を傾けようとしません。
誰の話も聞かないのであれば、周囲も母をそういう人だと認識するのでしょうが、母が話を聞き入れず頑なな態度を取るのは私にだけです。
済んだことを今更話す必要はないのかもしれない。
建設的な話し合いとは言えないことも理解できます。
でも、物事には、過去に起きたことをしっかり話し合っておかないと、前に進めないことがたくさんあります。
私の実家は、過去を反省したり振り返るような習慣はありません。
なので、社会人になって、世の中はこういうふうに動くのだなと気づかされ、実家の考え方がすごく変なことがわかってきたのです。
「そんなこと言ってない。私に謝れっていうの?!」
母とは話し合いができない。
その言葉を聞いて確信しました。
今はどうしてる?
できるだけ関わらない。
でも責任から逃げようとも思いません。
母親に関しては、積極的に何かをしないという立場を取っています。
母の日やお祝いに何かを贈ったり、最低限のことはしています。
最低限っていうのも人によって違いますけどね。
毒親になる人は、本人も子供のとき似たような思いを経験していることが多いといいます。
母の場合も祖母が厳しかったらしく、そのことは気の毒だとは思いますが、だからといって私は同じことを繰り返す気持ちないんです。
あとは女の嫉妬もあると思います。
自分より若い女への嫉妬。
私は自分で言うのもなんですが、ブスです。
だけど確実に母よりは若い。だけど最近、私が年を取ってきたことが嬉しいみたいなんです。
自分の体からできてきた、自分の分身なのに、自分よりも幸せになったりするのは面白くないと本気で考えている。
そういう闇があるから、母親は息子には何の不安もなく愛情を注げるのでしょうね。
女って怖いわ、本当に。
とにかく心はいつも自分ファーストでいこうと思っています。
それではまた。
のじれいか でした。