インドの都市では「弁当」を職場に届けてくれる業者がいる。たくさんの弁当を取り違えることは滅多にない……というのが驚きですが、そこは人のやること、たまにはミスも起こるというのがこの物語の始まりです。
映画『めぐり逢わせのお弁当』(Dabba)は、夫に弁当をつくる女と、女がつくる弁当を間違えて食べた男との交流を通じて、それぞれの抱える問題や悲しみがわかり、そして人生の無為を感じさせられるお話でした。
\この映画の特徴/
✓インド映画にしては上映時間が短い(105分)
✓インド映画につきもののミュージカルシーン(ダンス)がない
✓インドのリアルな文化に触れられる
✓インドらしい生死感が感じられる
✓大人の切なさがあるラスト
といったところでしょうか。ストーリー、この話の面白かったところ、残念に感じたところを書きます!
めぐり逢わせのお弁当(2013)
※本記事の情報は2021年6月時点のものです。 最新の配信状況はサイトにてご確認ください。
作品情報
インド、アメリカ、ドイツ、フランス 105分
監督:リテーシュ・バトラ
キャスト:イルファーン・カーン、ニムラト・カウル、ナワーズッディーン・シッディーキー
作品情報
ストーリー
インドのムンバイ。大都市ではお弁当を職場に配達してくれる「ダッパーワーラー」という業者がいるのですが、主婦のイラ(ムラニト・カウル)は、そのダッパーワーラーを利用し、夫(ナクル・ヴァイド)の勤務先に手作りの弁当を届けてもらっています。
インド料理を食べに行くとよく出されるアルミ製の器にカレーを入れ、各々用意したケータリング用の袋で運ばれるわけですけど、大量のお弁当を運ぶ光景には圧倒させられます。よく間違えないなーと感心です。
▼これね。
イラは夫と幼い娘の3人暮らし。イラと夫の関係は冷え切っていて、関係を修復させようとイラは一生懸命、弁当をつくっていました。そんな折、滅多に間違えることのないといわれるダッパーワーラーにミスが起きます。
イラの弁当がサージャン(イルファーン・カーン)という男の元に届いてしまう。サージャンは業者の弁当を頼んでいたのですが、「あれ、今日はなんか違うぞ」と不思議に思いながら食べると「うまい」と驚きます。このときまだサージャンは弁当が間違ったことに気づきません。サージャンは定年間近の勤続35年のおじさんです。仕事一筋の男だから、鈍感だったりするのかもです。
舐めるようにきれいな弁当箱が戻り、イラは感激しますが、帰ってきた夫との遣り取りで「食べたのは夫じゃない」と気づき、弁当を食べた相手に手紙を添える。
そこからイラとサージャンの手紙での交流が始まります。
最初はぎこちなかった手紙の内容も、やがてイラは夫の浮気問題や病気の父親のこと、サージャンは亡くなった妻を思い出したりしてセンチメンタルになったりと、内容は打ち解けていきます。
そんなとき、サージャンの元には、自分の後任にあたるシェイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)がやってきます。悪いやつではないのですが、ちょっと変わっているし、仕事もできないので難儀です。
見えないご近所さんの存在がいい(好きなところ)
イラの暮らす家は庶民的で、キッチンの窓が開け放され、そこで声を張り上げて、上階に住むおばさんと言葉を交わし、ときにスパイスを貸し借りします。おばさんは声しか登場しませんが、料理のアドバイスや、孤独なイラの大切な友人でもあります。
おばさんは寝たきりの夫を抱えていますが、ある日、夫は目を覚ました夫は、天井のファンをじっと眺めていて、それを見たおばさんは天井のファンが止まったら夫の命が尽きる時だと感じたという、どことなくインドらしい生死感があるエピソードを、イラはサージャンに手紙に書き記したりします。
後任の男が残念すぎる(残念だったところ)
財務会計をしているらしいサージャンの仕事を引き継ぐ後任のシェイクは、調子はいいのですが、繊細さに欠けるし、雑なところもある。
資格取得も偽りで経歴詐称していたことがわかりますが、図々しく居座って逞しく生きていきます。
でもちょっと図々しすぎるのと、それはまだしも、努力に欠けているところある気がしましたね。シェイクは孤児で色々恵まれなかったのはわかるのですが、結婚するので頑張ろうというのなら、運を利用することも必要としても、もうちょい自力でも頑張ったほうがいい。先が思いやられる人ではありました。
二人はどうなるの?(ネタバレあり)
弁当を取り違えたことで出会うイラとサージャンは、毎日手紙を交換して交流を深め、お弁当を作り食べている間柄ですが、お互いのこと…名前も容姿も知りません。
やがて「会いたい」と言い出すのは、自然な流れではあります。
二人は手紙で待ち合わせをしますが、当日、サージャンはイラの前に立ちませんでした。
サージャンは現役引退を考える年齢なのですが、そのことを実感させられる出来事が重なり、若くて美しいイラの前に名乗り出る自信がなくなってしまった。というか、自分の老いに直面することが起こります。
何やら加齢臭を自覚したり、電車の中で席を譲られたり、そんながっかりすることが続いて気力が失われてしまう。サージャンの気持ちはわかる気がする。
でも一人でサージャンを待つイラを、サージャンは離れた席からずっと見ていたというのだから、イラからすれば少なからずショックなはず。
サージャンは一度は定年を辞めて仕事を続投しようという気になったものの、そんなこともあってやはり予定どおりに退職します。退職後はムンバイを離れナシークというヒンドゥー教の聖地に転居することを決めていました。
イラは闘病していた父が亡くなりますが、それを支えていた母は、実は父への愛情はかなり前から失われていたことを打ち明けます。そんなこともあって、やはりサージャンを諦めきれないイラは、ダッパーワーラーの業者のおじさんに弁当が間違って届けられたことを話し、サージャンの居所を聞き出してオフィスを訪ねますが、そこにいるのはサージャンではなく後任のシェイクでした。
一方のサージャンもやはりイラと別れるのが惜しくなり、行くはずだったナシークには行きません。そして、ムンバイでダッパーワーラーの業者のおじさんたちを訪ねてイラを探します。でもそんなときイラは、夫と別れてムンバイを離れることを決め、ナシークのサージャンに宛てて手紙を書いています。
これは結局、会えそうにないっぽいラストでした。
さいごに
物語の最初の方はコメディ的要素もあって楽しみながら見れます。弁当の取り違えという発想もいい。彼女は夫の相談をして、彼は彼女の弁当を食べつつアドバイス。満員電車で通勤しながら同じ毎日を繰り返していたサージャンにとって、それはいい刺激でもありました。
で、こんな感じでほっこりラストに向かうのかと思っていたところ、さすがインド映画、イラの兄の自殺や、父の病気と経済不安と、実はイラは夫とのこと以外にも問題があり、サージャンも過去と現在の間で揺れている。人生や生死、老いといった人生テーマに進んでいきます。
二人が恋愛に発展するとは思いませんでしたが、ま、それもそれでいいのかもしれない。イラは夫と別れる選択をしますし恋愛は自由ですからね。ただ「チャンスには後ろ髪はない」と言いますが、一歩前に進むのを躊躇ってしまえば、後悔しても取り返せない場合もある。
後悔したくなかったら、勇気を出して一歩前へ! そんなことを感じてしまうラストでした。
それではまた。
のじれいか でした。