セコいタマシイ

のじ・れいか。40代フリーター女。モテない、人気ない、金もないの3拍子。エンタメ好きは現実逃避の手段のひとつ。

女児殺害遺棄事件が、過去の自分と交錯するとき

女児殺害遺棄事件が、過去の自分とクロスするとき

千葉県我孫子市の小3女子殺人事件、

容疑者が捕まりました。

news.yahoo.co.jp

容疑者は顔見知りどころか、PTA会長だったといいます。

これが事実であれば、もう防ぎようのない世界です。

衝動的だったのか、ある程度被害者の少女に目を付けていたのか。

たぶん以前から狙っていたのではないだろうか?

そんな気がしています。

 

理不尽な事件はどんなに平和な世の中でも必ず起こります。


人間が動物だから?

性があるから?


世の中は不公平からできていて、

どんなに平たく整えようとしても

完璧にフラットになどなるはずがないのです。


こういう事件を目にするたび、

わたしの中で沈殿していた澱が、

かき混ぜられるように目を覚まします。

それはわたし自身が同じような目に遭いながら、命を落とさず生き延びているためです。

 

被害者からみれば、誰かの欲求を満たすためだけに命を奪われるほど理不尽なことはありません。

自殺ですら倫理的にはいけないことと教わりながら、

なぜ、他人に(わたしの場合は知らない人でした)

自分の生死を委ねなければいけないのでしょう?

 

朝の通学途中、穏やかな日常の中で、今回の事件は発生しました。

変質者が出没するということで(それも今回の容疑者の犯行かもしれない)

日頃からパトロールをしていたそうですが、被害者が日常でどの程度、恐怖を認識していたかは不明です。

少なくとも自分が同じ年齢の頃は、性(子供にとっての恐怖)に疎かった。

成人した男が、自分を性の対象として捉えているという考えには及びませんでした。

ただ、わたしは頭も悪くて顔も醜かったために油断していただけで、

被害者少女のように、聡明で美しかったらまた違った警戒心があったかもしれません。

 

わたしが襲われたのは、家族が寝静まった自宅でした。

自室で眠っていたところを首を締められているのに気づき目を覚ましました。

わたしが命を落とさなかった理由、それは現場が自宅であったことが大きかった、

というか、ほとんどそれがすべてです。

だからわたしは、今も生きています。

でももし、実家でも丸腰でなければ、わたしだけでなく家族も殺されていた可能性があるのですが。

 

子どもにとって最も安心できるはずの場所が、

現場になった心の傷は浅くはありませんでした。

夜が怖いと思うようになったのはたぶんその頃からです。

電気を消して眠ることはできなくなりましたし、

一人部屋で夜を過ごすことが苦手になりました。

家に浸入した犯人は捕まっていません。

生きていたら、周囲からはよい父親としてわたしなどより愛されているのかもしれない。

たとえばこの事件の容疑者のように。


ラブリーボーンという映画では、被害者の女の子は好奇心から、犯人が所有する畑の家屋に入ってしまった。

救いのない映画でした。

犯罪、特に女だから味わうかもしれない恐怖は、いつ何処で遭遇するかはわかりません。

世界を知る前と知った後では人生が変わってしまうのです。

 

被害者が無事だった事件をニュースで見るたびに、そこから始まるであろう被害者の恐怖を想像して、闇に怯えているのです。

 

野路れいか