セコいタマシイ

のじ・れいか。40代オンナ。自称トイレ調査員、ジュエリーとエンタメを愛でる日々。

なお美ロスの日々 (川島なお美の死去から1カ月)

 はじめまして。

これからブログを始めることにしました。よろしくお願いしますです。

わたしは、子どものころから華やかな芸能界に憧れつつ、手が届かない世界を指をくわえながらぼんやり眺めてきた、40代に入ってしまった、ジミなフリーターの女です。

 

情報社会に生きるみなさんのなかには、もう忘れつつある方もいるかもしれませんが、 亡くなって1カ月たったいま、川島なお美が不在なことが信じられず、ロス状態になっています。

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そうかといって、以前から川島なお美のファンというわけではありませんでした。

特に1990年代は、「ワイン通の女優」という肩書きを持つ、少し変わった人という認識しか持っていなかったのです。 

それが鎧塚俊彦氏と結婚したころからか、偶然立ち寄ったブログが思ったよりも面白く、それから時々ブログを覗ようになりました。 

 

5 年生存率が 50% という肝内胆管がんに罹ったことが公表されて、以前より頻繁にブログを覗くようになったのですが、文章や写真からは、闘病といったシリアスさはまったく感じられませんでした。

 

わたしは安心しながら、もしやわたしは川島なお美が好きなのかもと自問しつつ、きっとこの人は死なないのだと決めつけました。

 

川島なお美は、死なない。

 

彼女は人間である前に、女であったり女優であったりする前に、川島なお美、なのだと。

きっと、淡谷のり子みたいに、生きて、生きて、生きまくって、「ワイン」をネタに少々異端な扱いを受けながら存在し続けるのだろうと想像したのです。

 

芸能界で生き残るためには、自分をいかにブランド化させるかが重要です。

つまり、生死を実感させないということは、自己のブランド化を見事に成功したためといえるでしょう。

 

川島なお美は、 1979 年に歌手デビューし、1981には深夜ラジオの『ミス DJリクエストパレート 』のDJとして軽快なしゃべりを披露。女子大生ブームにのって、千倉真理らとともに人気を博しました。

そして、翌年1982年からは『お笑いマンガ道場』で愛嬌ある笑顔とイラストで有名に。

川島なお美が世に出た当時は、1971年から放送が開始されて、アイドルを工場のように輩出し続けていたスカウト番組の『スター誕生』の人気がひと段落したころで、アイドルやタレントのあり方が、緩やかに変化をしつつある時期でした。

 

スター誕生(スタ誕)でデビューした中森明菜や、柏原芳恵石野真子などのように歌をメインにしたアイドル歌手というより、バラエティとグラビアにシフトしていったあたりは、大流行した「女子大生」キャンパスクイーンの肩書を十分に享受しつつ、自由度の高さで知名度を上げていくスタイルであり、現在の多様化したアイドルの前進だともいえるでしょう。

 

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1983年に蒲田のレコード屋で25000円で売っていたと「絶賛廃盤中~」と曲紹介

している『シャンパンNO.5』。

 

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ピンクレディーみたいだけどかわいい!

 

これはまったくの余談ですが、のちに出てくる杉本彩は学園祭クイーンとして一躍有名に。女子大生ブームの火付け役になった深夜番組、『オールナイトフジ』にアシスタントとして出演していました。
人に歴史ありです。

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お笑いマンガ道場』は、平日の夕方に放送されていた呑気な番組で、笑点大喜利をさらにくだけた感じにさせたようなバラエティでした。

出演者には芸人や漫画家いましたが、亡くなってしまった方もいて、芸能界で現在も活躍している人はほとんどいないようです。

(だん吉なお美のおまけコーナー、の車だん吉は現在、70歳OVER)

 

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 だん吉さんは、2015年に入って、東海テレビの昼ドラ「プラチナエイジ」(渋いタイトルそのままに、熟年層が主役のドラマ)に1話出演しています。

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川島なお美の年代は、バブル真っ只中に20代を迎えています。

多くの人が浮かれながら生きていたのですが、もしかすると、そのころは川島なお美にとってあまりよい時代ではなかったのかもしれません。

バラエティ番組のアシスタントとしては活躍したものの、ドラマ出演を調べると2時間ものがほとんど。たぶんこの頃から、女優への転身を模索していたことが想像できるものの、当時のテレビ業界は華やかで、あらゆるジャンルの人間がメディアを賑わせた時代でした。けれども、濃いキャラをした連中の多くは、風のように現れてはどこかに消え去っていきました。

 

歌手としての活動は、デビュー曲の『シャンパンNO.5』以降も、シングルを何枚か発売していますが、あまり売れなかった様子です。

歌に軸足を置いてヒット曲を出し続ける同年代の歌手たちからは水をあけられてしまいました。

 

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かわいーーー。こんなにかわいかったら、この世は自分のものだと思ってしまうだろうなあ……(わたしだったら)

 

新陳代謝の激しい芸能会では、どんなにかわいくても、淘汰されてしまうことは日常茶飯事です。

消えてしまってもおかしくはない川島なお美が、90 年代に入るとテレビドラマのレギュラーが増やしつつ、生き残りをかけてかワインキャラをさく裂させ、勢いにのって失楽園へとつき進んでいきます。

 

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この写真、雛形あきこに似ている気が……。

 

失楽園については、渡辺淳一氏との関係が取りざたされました。バブル崩壊後に生き残りながら、自分の目指す方向性へとシフトしていくためには、間違った判断だとは個人的には思えないのです。

川島なお美が、女優の肩書きを使うようになったのは、このころからではないでしょうか。

 

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オープニングテーマ曲がZARDという……。

そして古谷一行の娘は菅野美穂

 

「女優」という肩書きについては、「女優の宮崎あおいさんです」とか「女優の綾瀬はるかさんです」だと、自然に名前と肩書きが一体化しますが、それが不自然で逆効果になるときもあるでしょう。

川島なお美は「女優の川島なお美さんです」にこだわった人だといいます。

タレントと呼ばれることを好まなかったと。しかし、逆に女優と呼ばれることがあまり好きでないという夏木マリのような人もいるから、それぞれなのでしょう。http://www.daily.co.jp/opinion-d/2015/03/22/0007842742.shtm

www.daily.co.jp

 

そして、2007年に鎧塚俊彦氏と結婚。

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しあわせそうだなー。
動画の3:20あたりで鎧塚氏の帽子を被ってウインクをするのがたまらなくセクシーです。

 

わたしが川島なお美のブログをよくチェックしていた別の理由として、美容情報をゲットする目的もありました。 

50 歳をすぎて髪を染めていないということに驚き、少し疑ながらも、ブログでオススメの頭皮用のクリームを試してみたりしたものです。

 

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告別式で、鎧塚さんの後方で写真を手に立っていた川島なお美の妹君の黒々とした髪を見て、生れつきの遺伝だったのかと納得しました。

 

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調べてみたところ、これほどまでに舞台に出演するようになったのは最近らしく、仕事に猛進する鎧塚さんに影響を受けて、道を極めることを目指したのかもしれません。

職業は異なれど、鎧塚氏の仕事に対する姿勢にも心を奪われたでしょうか。

 

告別式で鎧塚氏が言っていた「女房は他界したぐらいでへこたれる女ではありません」という言葉を奇妙に思った人も多いかもしれません。

 

でもわたしははっとしました。

 

いのちあるものは、死んだら終わり。

でも、それで終りわだと諦めるよりは、宗教めいた意味ではなく、どこか別の世界でその人格は継続されていくと信じられたらと本気で思ったのです。

 

先日、 ラジオで千倉真理の涙声を聴きながらも、川島なお美がこの世にいないという感覚はマヒしたままです。

 

ブログは太田プロのマネージャーや友人の方による更新が続いていますが、本人の更新がないというのがやはりピンとこないのです。

わたしの身近な関係の人に、川島なお美の小学校の友人がいるのですが、やはり遠い記憶のなかにも川島なお美の記憶は鮮明に残っていて、だからこそ、もうこの世界にいないことがまったく実感が持てないといいます。

 

けれど一方で、 

こうしてブログを書いていると、川島なお美が、違う世界に旅たったことを突きつけられたような気持ちにもなるのです。

 

後悔なく前向きで明るくめいっぱい生きるというのは、

ネガティブで人生をあまり楽しめないわたしには高いハードルです。 

わたしは、後ろ向きな性格でなかなか現実の世界を愛して受け入れることができないだめな人間です。

 

けれど自分なりに、川島なお美のかわいく頼もしい人生を、わずかでも生きる道に取り込ことができたらいいな、と思いつつあります。